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大阪地方裁判所 昭和58年(わ)4126号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中一六〇日を右刑に算入する。

押収してある別紙記載の物件を被害者甲山春子の相続人に還付する。

理由

(被告人の身上経歴および犯行に至る経緯)

被告人は、大阪市西淀川区内で出生し、両親のもとで金銭的に何不自由なく養育され、昭和二六年六月一〇日乙山夏男と結婚し、昭和三五年四月以降肩書住居地で同人および同人との間に儲けた長男○、長女○○子とともに暮らすようになり、昭和四九年一一月六日から近鉄百貨店阿倍野店の特別社員(パート)として勤務するようになつていたものであるが、夫夏男の給料が安かつたことなどから、同人との結婚直後より内職をするなどして家計を助けていたものの、同人が金銭面に無頓着で飲食等に少なからず出費するうえ、被告人も生来の贅沢な性格から衣食面や子どもの教育費等での出費を惜しまず収入以上の生活を送ろうとしたため、結婚前とは打つて変わつて生活費等に窮するようになり、昭和四二年ころ、長男○の私立高校入学に際し、その学費に充てるため夫に内緒でいわゆるサラ金業者から金銭を借り入れたのを皮切りに、その後生活費のほか、子どもの学費および結婚費用、実母の葬式費用等金が入用になる都度サラ金からの借金を重ねてその金額を増大させていたところ、昭和五五年末ころ、以前に一度利用したことがある金融業大幸商会こと甲山春子から電話で借入れの勧誘を受け、かつて利用した際取立が厳しかつたためしばらく利用していなかつたものの、当時すでにサラ金業者約一二店に対し合計約一〇〇万円の債務を負つており、更に新たな業者を利用しづらかつたこともあつて、再び甲山から借り入れるようになり、まだそのころであれば、夫や子どもらに右借金のことを打ち明けて相談し、夫婦の収入をあわせて具体的な返済計画をたてて家計を引き締め借金の支払に充てるなどの努力すれば、返済が可能な状況であつたにもかかわらず、無計画かつ安易に高利の借り入れを続けたため、次第に甲山や他のサラ金業者からの借入金を累積させ、甲山に対しては、その求めにより近鉄百貨店からの給与が振り込まれる被告人名義の預金通帳、キャッシュカードおよび印鑑を預けさせられ、右給与を同女に対する借金の返済金としてそつくり持つて行かれるうえ、夫夏男の給与もその全額を各サラ金業者に対する返済に充てなければならないような窮迫状態に陥つたところ、昭和五六年六月初めころ、被告人との個人的な付き合いも深め被告人をすつかり信用していた甲山から、「近鉄百貨店の人で金の入用な人があれば貸してあげてもいい」などと言われたことから、これにヒントを得て生活費や自己の小遣銭等を得る目的で、架空の借受人を作出しその借入金名下に甲山から金銭を引き出そうと考え、知人の名義を無断で使い、あるいは全くの架空人名義を作出したうえ甲山から次々と借り入れるようになり、生活費や他のサラ金業者に対する返済金のほか、甲山に対する借金の返済額も、右のような架空借受人名義の使用により、利率がかなり高かつたことも相俟つて被告人の返済能力の限度をはるかに越えて増大の一途を辿り、その返済のため新たに架空借受人の数を増やしてその名義で新規借入れをし、これと当月分の返済金とを相殺し、あるいは既存の架空借受人名義の債務を切り換えてもらうなどの操作をしてその場その場を凌いだものの、これによつて更に甲山に対する債務が歯止めを失つて利息が利息を生む形で雪だるま式に累積し続け、本件犯行当時には、少なくとも元利合計残高三九六八万四八〇〇円、返済期日月四回で一回当たりの返済額が一〇〇万円を越える巨額に達するまでになつた。

(罪となるべき事実)

被告人は、このように架空借受人名義を使つて三九六八万四八〇〇円という莫大な借金を累積させ、返済不能の状態に陥つていつたが、昭和五八年六月八日、甲山から同月一〇日の支払分と同月五日の支払分の残額との合計約一四〇万円を同月一〇日までに支払つてほしい旨求められ、今回も従前どおり架空借受人名義を使つて新規借入れをするなどしてその場を切り抜けようと同女にその旨申し入れたところ、思惑に反し、同女から他に貸し付ける必要があるので一〇〇万円は現金で返してほしい旨言われ、その場は一応これを了承する旨返答したものの、もはやこれまでのような操作で切り抜けることができなくなり、他のサラ金業者から調達できる目途もなく、近鉄百貨店の同僚丙山秋子に一〇〇万円の借用方を申し入れてもすげなく拒絶され、苦肉の策として、右丙山を甲山の近鉄百貨店従業員に対する貸付金の回収の補助係に仕立て上げ、甲山に対し、丙山がその集金した返済金を盗まれたので一〇〇万円の調達が遅れる旨虚偽の言い逃れをしたが、丙山と直接連絡を取つた甲山から追及され、なおも執拗に虚言を弄してその場を取り繕おうとしたものの、遂に右虚言がばれたほか、これまで架空名義で借り受けていたことが甲山に露見するに至り、同月一五日同女方に呼び出され、同女と丙山との電話での会話を録音したテープを聞かされたうえ、湯呑茶碗を投げ付けられるなどして激しくなじられ、「あんたの主人に何もかも話してしまう。今まで付き合つて来たのに裏切るのは人間じゃない。動物でも三日飼えば恩を忘れへん。のうのうと会社勤めができると思つてんの。警察に行つて豚箱に入つたらええ。とにかく一〇〇万円だけでもすぐ持つて来い。持つて来なければ主人や近鉄のところへすぐ行かしてもらう。警察にも届ける。」などと罵声を浴びせかけられるに及び、明日午前中までに一〇〇万円を用意するということで漸く甲山の了承を得たが、翌日までに一〇〇万円を調達できる目途はなく、帰宅後床についてからも、姉から当面の一〇〇万円を借りようか、いつそのこと夫に打ち明けようか、などとあれこれ思い悩むうち、よしんばこの一〇〇万円を調達できたとしても、今後月四回もやつてくる返済期日にそれぞれ一〇〇万円を越える金銭を甲山に支払い続けていかなければならない蟻地獄のような生活を強いられることになり、同女さえいなければこのような生活からはい出て平隠な生活が送れるようになると考えるようになり、同女から浴びせかけられた前記の罵声を思い出すにつけ同女に対する怒りと憎しみの念がこみ上げ、いつそのこと同女を殺害して同女に対する右債務の履行を免れるとともに、同女に預けている被告人の預金通帳、キャッシュ・カードおよび印鑑のほか、架空名義で借り受けていた証拠となる念書、架空借受人名義を記入したカード、集金小票および前記録音テープ等を強取しようと企てるに至り、殺害方法は甲山が被告人より体力で勝つていることなどを考慮して、同女の隙を見てその背部から心臓部分を刃物で一突きしようなどとあれこれ思いをめぐらしながら、まんじりともしないまま、翌同月一六日午前六時半ころ起床し、同日午前七時三〇分過ぎころ甲山からの電話を受けて増々同女殺害の意思を強め、出勤する夫を見送つた後、食器棚の引出しから刃体の長さ約一八センチメートルの新品の文化包丁(昭和五八年押第九五四号の一)を箱ごと取り出してこれをショッピングバッグの中に入れ、返り血を隠すためにレインコートを着用したうえ、同日午前八時四〇分ころ、大阪市平野区×××丁目×番××号の甲山方に赴き、同女方一階六畳間において、前日と同様罵声を浴びせかける同女の隙を窺つていたところ、同女が「これから警察に行つて手続きを取る。警察や主人、近鉄に出す書類を作るから一筆書け。」と言つて右六畳間北東角の事務机に被告人に背を向けて立つたので、いよいよ甲山を殺害する機会が到来したものと考えたが、心臓の鼓動が激しくなり、身体が小きざみに震えて喉がからからに喝いてしまつたため、一旦台所に立つて水を飲み、気を落ち着かせて甲山の様子を窺つたところ、なおも同女が被告人に背を向け、スツールに坐つて机に向かつていたので、午前八時五〇分過ぎころ、直ちに甲山(当時四一年)を殺害しようと決意し、自宅から携帯して来た右ショッピングバッグの中から右文化包丁を取り出し、これを両手で握り持つて柄尻をみぞおちに当てがい、甲山の背後に向かつて小走りに走り寄つて、「甲山さん、ごめん」と言いながら、右文化包丁を同女の左背部めがけて力まかせに一回突き刺し、よつて、同所において、同女を心臓左心室後壁刺通に基づく心嚢血液タンポナーデにより即死させて殺害し、同女所有の現金一〇万五〇〇〇円および同女所有の預金通帳一〇通(預金残額五二万四四六九円)など別紙記載の物件在中の皮製手提鞄一個を強取するとともに、前記三九六八万四八〇〇円の債務の支払を免れて同金額相当の財産上不法の利益を得たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

なお、弁護人は、甲山春子殺害によつて被告人は、公訴事実記載の財産上不法の利益を得ていないと主張するところ、一般に債権者を殺害したことによつて財産上不法の利益を得たといいうるためには、その殺害の結果相続人等右債権を承継した者において、事実上これを追及することが不可能になるか、少なくともそれが著しく困難になり、財物を強取した場合に比すべき財産上の利益の移転があつたと評価できることを要することは、弁護人の指摘するとおりであるが、前掲の関係各証拠によれば、被告人が甲山から架空借受人名義を使用して借り受けた元利合計残高は、本件犯行当時において金三九六八万四八〇〇円であり、右のような架空名義による借受けが甲山に露見したことにより、被告人は、右元利残高全額について、今後甲山から一回当たり一〇〇万円を越える多額の分割返済金を一か月約四回にもわたつて厳重に督促されるべき立場に立たされていたところ、被告人は当初から甲山に対する右債務全額を免れるべく、同女を殺害して同女に預けていた被告人名義の預金通帳、キャッシュ・カードおよび印鑑のほか、架空名義で借り受けていた証拠となる念書、架空名義で借受人名義を記入したカード、集金小票および録音テープ等を奪取しようと計画していたものであつて、右全額について財産上不法の利益を得るとの主観的意図に欠けるところはないうえ、客観的にみても、架空名義を使用するという本件借受行為の態様からして、一人で金融業を営み他に従業員がなく、かつ被告人と現実に金銭授受を行つていた甲山が殺害されれば、このような実態を全く把握していない同女の相続人にとつて、右債務が被告人に帰属するものであるかどうかを判別することは著しく困難となり、結局右債務の履行を被告人に対して請求することは事実上不可能となるか、あるいは少なくとも著しく困難になつたと認めざるを得ない。よつて、被告人は本件犯行によつて前記三九六八万四八〇〇円の債務全額についてその支払いを免れ、もつて同金額相当の財産上不法の利益を得た、と解するのが相当であり、弁護人のこの点に関する主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二四〇条後段に該当するところ、所定刑中無期懲役刑を選択し、被告人を無期懲役に処することとし、同法二一条を適用して未決勾留日数中一六〇日を右刑に算入することとし、押収してある別紙記載の物件は、判示の罪にかかる賍物で被害者甲山春子の相続人に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法三四七条一項によりこれを被害者の相続人に還付することとし、訴訟費用は、同法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、平凡な一主婦である被告人が、生来金銭的にルーズで贅沢な性格から収入以上の生活を送ろうと、いわゆるサラ金に手を出して多額の借金を累積させていたのに、さらに二〇〇口を越える多数の架空借受人名義を使用するという一種の欺罔手段を用いて被害者から多額の金銭を借り入れ続けた挙句、判示のとおり個人の返済能力をはるかに越える巨額の債務を負担するに至り、このことが露見するや、被害者を殺害して右債務の支払いを免れるとともに担保として預けていた預金通帳等を強取しようと企て、あらかじめ自宅から鋭利な文化包丁を携帯し、返り血を隠すためのレインコートを着用したうえ被害者方に赴き、全く無警戒の被害者の隙を窺いその背後から心臓部分をめがけて右文化包丁で一突きにして即死させ、現金、預金通帳等を強取するとともに右債務免脱の目的を達したという事案であつて、強盗殺人という刑法犯中もつとも兇悪とされるその罪質に加え、右犯行が周到な準備の下でされた計画的犯行であること、犯行態様がかような事態を全く予想せず無警戒、無抵抗な被害者の隙を窺いその背後から心臓を一突きにして即死させ、その後、遺体を引きずつて風呂場の浴槽内に運び込み、血痕を拭きとるなどしたうえ、判示の物件を奪取して平然と被害者方を立ち去るなど、女性の犯行とは思えないような大胆で、冷酷、残忍なものであること、一方、このように無残にも殺害された被害者は、いまだ若く将来のある女性で、自己の不遇な生い立ちから行く行くは身寄りのない老人を対象に老人ホームを設立しようとの希望をもつて貸金業を営んで来たもので、世にいわゆるサラ金業者とはやや趣きを異にし、真に困窮した債務者には恩情をかけるという一面も認められ、本件について責められるべき何らの落度もないこと、たしかに、架空名義での借受けが露見した際、被害者が被告人を激しくなじり、このことを被告人の夫や勤務先、警察にばらすと発言し、このことが本件犯行を招く直接のきつかけとなつていることは否めないが、これとても、それまで全面的に信頼を寄せてきた被告人にだまされ続けていたと知つた被害者の心情を考慮すると、無理からぬところと思われ、とりたてて被害者の落度とはいいがたいこと、しかるに、このことのゆえに、被害者は、被告人から責任をとるどころか反対にその尊い生命を一瞬のうちに奪われたもので、この被害者の無念さは想像に難くなく、残された遺族らの深い悲しみと強い憤りも十分に理解することができ、右遺族らはいまだに被害感情を癒すことなく、被告人に対し極刑をも望んでいること、これに対し被告人は何らの慰藉の措置も講じていないこと、などの事情を認めることができ、これらの事情に徴すると被告人の刑責はきわめて重大であると言わざるをえない。

もつとも、他面において、被告人は、架空借受人名義を使つて最終的に前記のような巨額の債務を負うに至つたとはいえ、被害者から現実に手元に入つた金額はこれに対してごくわずかなものであり、とりわけその後半段階においては、一か月に何度もやつて来る返済期日における元金および高率の利息の分割返済のため、新規借入や切換を行い、現実には金銭を取得しないまま架空名義口数のみを増加させ、その結果右のような状態に立ち至つて身動きが取れなくなり、被害者に露見して即時一〇〇万円の返済を要求され、さんざん思い悩んだ挙句、切羽詰つて本件犯行に及んだ、との事情をも認めることができるが、生来の贅沢な性格から収入以上の出費をしてサラ金に手を出し、被害者から借金を始める以前において既に決して少なくない借金を重ねていたのに、この段階で適切な手立てをとることなく、架空名義を使って同女から金銭を引き出すという明白な詐欺行為をあえて行い、それがために借金の累積が歯止めを失い、誰の目にも必然的な破局に立ち至つたもので、被告人の右行為には弁解の余地がなく、更にこのような状態になつてもなお被告人は収入に対し不相応で贅沢な生活態度を改めようとしなかつたことなどの事情に照らせば、右犯行の動機もさほど被告人に有利な情状として斟酌しうるものではないというべきである。

その他被告人には捜査・公判段階を通じて反省悔悟の情が認められること、被告人にはこれまで前科前歴などないこと、ことここに至るまで夫の適切な助言を得られなかつたなど家庭的に恵まれない人生を送つてきたことなど、被告人に有利な一切の情状を考慮しても、なお被告人に対し、無期懲役刑を選択のうえこれを酌量減軽すべき事情が存するとは認められず、主文掲記の刑はやむをえないと考えた。

よつて、主文のとおり判決する。

(岡次郎 吉田京子 田中俊次)

(別紙省略)

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